
- 「一国一城の主」を目指して
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僕は、飲食業とは無縁の普通のサラリーマン家庭に生まれました。初めて飲食業界に関わったのは高校1年の夏休み。某ハンバーガー店のアルバイトです。ここで接客業の面白さを覚えた僕は、翌年の夏は喫茶店で、ドリンクやフードを作るまでに。考えてみると、それが包丁を持ってまともな調理をした最初でした。
卒業後は調理師専門学校に進学。正直なところ、大学受験に失敗したからしかたなく…でした。なかなか本気になれない僕に、ある日、先輩が「このまま料理人になるなら、用意されている道はふたつ。組織の中の料理長になるか、一国一城の主になるかだ」と話してくれて、そこで腹が決まりました。僕は組織の一員は合っていない…「どうせなら一国一城の主になりたい」と答えました。「それならとにかくいろんな場所を経験して、いろんな料理・人・ものを見てこなきゃダメだ」というアドバイスに、卒業後は、京都の高級料亭、ホテル、小料理屋など、様々な店で修行をしました。そんな中、26歳で大きな転機が…。ある日、調理師会から呼び出され、香港のホテルの和食店への派遣の話があり、もともと海外志向が強かった僕に声がかかりました。いざ現地に行ってみたら、来店客のほとんどが西欧・米国・中国圏の方々。昼は調理場で広東語を、夜はアイリッシュバーに通いつめて英語を、これは楽しく覚えましたね(笑)。何よりラッキーだったのは、日本では絶対に教えを乞うなどあり得ない超一流の料理人から、和食・寿司・鉄板焼の直接指導が受けられたこと。しかも、僕は即戦力として派遣されているので、寿司だってすぐ握らせてもらえるし、鉄板焼のすごい技だって、ハイやってみて…ですよ。あまりにも楽しくてそのまま4年も滞在。北京の2号店の立ち上げメンバーにも選ばれ、北京を無事に開店させて戻ったのが香港返還の1997年です。それも契機となって帰国を決意しました。